2015年4月2日木曜日

familly

息子の一才の誕生日を祝いたいと、私の両親がいうので、那須へ旅行へ行く。
3か月ぶりに会う孫に、終止笑顔で、終止ご機嫌で終止にやにやしっぱなしの両親をみて、本当に心から和む。
動けばカメラを構え、ご飯を口に運べばシャッターを切り、喋ればその相づちを大げさにうち、本当に本当に微笑ましい時間だった。
家族の繋がりは本当に世界中であるけれども、その多くの中の一部でこうやって幸せを感じれる事は、生きていて良かったというか、何を差し置いても頑張れる源である。
子供を産んで、改めて実の両親に心から感謝と尊敬の眼差し、そして私自身は本当にかわいがられて育てられた事を実感する。とても厳しい両親だったけれどそういうのも含めて。
成長していく過程で、勿論、貧しいときもあり「無いときは無い」「有るときはある」それなりに沢山の事を教えてくれた。
お金では買えない、もっと大切な事、人の心の話や人情や、生きて行く上で大切にしなければならない事、とか。
今思うと、母のお弁当はいつも冷凍食品を一切つかわない、全て手作りの弁当。
朝、出かけるまでに作るのが間に合わなければ、1時間目の休み時間までに下駄箱に手作り弁当を届けてくれていた事、メモ帳や落書き帳は、いつも広告の裏を使ってそれを束ねてノートを作ってくれていた事、保育園や小学校で使っていたバッグやお弁当いれ、シューズ入れはいつもちびまるこちゃんの柄のミシンで縫った手作りだった事、
ルーズソックスは一切禁止で、隠れて履いていた日には、それを焼却炉で燃やされた事、
雪山で使うソリやこたつで使う椅子は、父の手作りだった事、物心つく頃から、家を出る19歳まで、毎年かかさず2/3は「鬼は外、福は内」を大声で言わされた事、
母が体調を崩し入退院を繰り返した、中学生の頃は、毎日、父の手作り弁当、米の上に卵焼きが乗っただけの物を持って学校へ行っていた事。
数年前まではこれが恥ずかしくて、「私は勿論、自分本意で生きてきたわよ、今まで!」みたいな頃もあったけれども、今思い返すと、色々思い出すと涙が出そうになるし、日々、それを思い活力にもなる。
人の生きてきた道は、それぞれ有るけれども、全て無駄なものは何一つないし、それらがあって今があるのだから、全てに感謝の心を。

息子をもち、初めて、私の実の母のように、強い女性になりたいと、
心からそう思える自分に、ちょっと嬉しい。



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